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東京高等裁判所 昭和57年(う)246号 判決 1983年1月27日

主文

本件各控訴を棄却する。

被告人眞喜屋武義に対し、当審における未決勾留日数中三〇〇日を原判決の本刑に算入する。

理由

<前略>

弁護人高田昌男、同平野和己、同長谷一雄、同的場徹、同井上智治、同安田好弘、同内山成樹連名の控訴趣意(以下「連名控訴趣意」という)第五 訴訟手続の法令違反を主張する点について

所論は、要するに、原判示第二の恐喝の事前共謀認定の一根拠とした久留メモの立証趣旨は、同メモの存在というに過ぎないところ、証拠物でも書面の意義が証拠となる場合は、証拠書類に準じて証拠能力の存否を判断すべきであるが、同メモは単に心覚えのために書き留めたメモであるから、刑訴法三二三条三号の要件を具備した書面とは認められず、原審証人久留が作成したものであるから、同法三二一条一項三号の供述者死亡等の要件に該当しない。更に、同メモ中の「しや罪といしや料」なる記載部分は、桂某から久留が戦術会議の結果を聞いてこれをメモしたもので、再伝聞証拠であるから、同メモの恐喝の事前共謀の事実認定に関する証拠能力を判断するためには、桂某と久留間の伝聞性につき吟味を必要とするところ、桂某が死亡等により公判廷で供述し得ないとする証拠及び特信情況についての証拠が存在しないから、伝聞証拠である同メモの証拠能力は否定されるのにかかわらず、金員喝取の共謀を認定する証拠とした原判決は採証法則を誤つたもので、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある<中略>というのである。

そこで検討する。

所論のメモについて

原審は、原判示第二の事実全部を認定する証拠として、押収してあるノート(抄本)一冊(当裁判所昭和五七年押第九一号符号八、原審昭和五六年押第四五八号符号八)(以下「久留メモ」という)を用いている。ところで、記録によれば、右久留メモは、検察官が原審第五回公判期日において、立証趣旨として、戦術会議及び犯行準備等に関する記載のあるメモの存在として取調の請求をし、弁護人は異議がない旨の意見を述べ同公判期日において直ちに採用決定され、証拠調が行なわれていることが明らかである。所論は、久留メモについては、検察官の立証趣旨はメモの存在というに過ぎないところ、証拠物でも書面の意義が証拠となる場合は証拠書類に準じて証拠能力を判断すべきであるから、原判決が右メモにつき、金員喝取の共謀を認定する証拠として用いているのは、採証法則を誤つたものであると主張する。しかしながら、前示のように、久留メモの立証趣旨については、戦術会議及び犯行準備に関する記載のあるメモの存在とされていたのであり、所論のように単にメモの存在とされていたわけではない。本件においては、所論のごとく、メモの存在のみを立証趣旨として取り調べても意味をなさないのであつて、原審における訴訟手続を合理的に解釈するかぎり、検察官は、本件犯行の事前共謀を立証するものとして右のメモの証拠調請求をし、弁護人の異議がない旨の意見を経て、裁判所がこれを取り調べたものと解すべきである。もつとも、原審が、久留メモの証拠能力につき、どのように解していたかについては、記録上必ずしも明らかにされていない。すなわち、それは、いわゆる供述証拠ではあるけれども、伝聞禁止の法則の適用されない場合であると解したのか、あるいは、伝聞禁止の法則の例外として証拠能力があると解したのかは明らかではないのである。おそらくは、原審第五回公判期日において、久留メモについての弁護人の意見を徴するに際し、同意、不同意の形でなく、証拠調に対する異議の有無の形において、その意見を徴している点をみるときは、原審としては、久留メモについては、伝聞禁止の法則の適用されない場合と解していたことが推測できるのである。人の意思、計画を記載したメモについては、その意思、計画を立証するためには、伝聞禁止の法則の適用はないと解することが可能である。それは、知覚、記憶、表現、叙述を前提とする供述証拠と異なり、知覚、記憶を欠落するのであるから、その作成が真摯になされたことが証明されれば、必ずしも原供述者を証人として尋問し、反対尋問によりその信用性をテストする必要はないと解されるからである。そしてこの点は個人の単独犯行についてはもとより、数人共謀の共犯事案についても、その共謀に関する犯行計画を記載したメモについては同様に考えることができる。もつとも、右の久留メモには、「(25) 確認点―しや罪といしや料」との記載が認められるが、右の久留メモが取調べられた第五回公判期日の段階では、これを何人が作成したのか、作成者自身が直接確認点の討論等に参加した体験事実を記載したものか、再伝聞事項を記載したものか不明であつたのである。しかし、弁護人請求の証人久留満秀の原審第一三回公判期日における供述によれば、原判示69の会に加入している久留は、昭和五五年九月二七日夜、当時同会に加入していた桂某より、中野、酒井の両名が飯場の手配師に腕時計と金を取られたことにより、同会及び原判示山日労・山統労の三者が右飯場に対し闘争を取り組むことになり、同月二五日の右三者会議で確認された事項のあること等を初めて聞き、右聞知した二五日の確認点をノートに「(25) 確認点―しや罪といしや料」と書き留めたことが明らかとなつたのである。すなわち、右の公判期日の段階においては、久留メモの右記載部分は、原供述者を桂某とする供述証拠であることが明らかとなつたのである。前記のように、数人共謀の共犯事案において、その共謀にかかる犯行計画を記載したメモは、それが真摯に作成されたと認められるかぎり、伝聞禁止の法則の適用されない場合として証拠能力を認める余地があるといえよう。ただ、この場合においてはその犯行計画を記載したメモについては、それが最終的に共犯者全員の共謀の意思の合致するところとして確認されたものであることが前提とならなければならないのである。本件についてこれをみるに、久留メモに記載された右の点が共犯者数名の共謀の意思の合致するところとして確認されたか否か、確認されたと認定することができないわけではない。したがつて、確認されたものとすれば、久留メモに記載された右の点に証拠能力を認めるべきは当然であろう。のみならず、確認されなかつたとしても、久留メモに記載された右の点は、以下の理由によつて、その証拠能力を取得するものと考える。すなわち、久留メモのうち、右の記載部分は、同月二五日の三者会議において、これに出席した桂某が、謝罪と慰謝料を要求する旨の発言を聞き、これを久留に伝え、久留が更に右メモに記載したものであるから、原供述者を桂某とする再伝聞供述であると解しなければならない。したがつて、この点を被告人らの共謀の証拠として使用するためには、当然に弁護人の同意を必要とする場合であつたのである。しかしながら、右の久留メモについては、前記のように、原審第五回公判期日において、検察官の証拠調請求に対し、弁護人は異議がない旨の意見を述べており、更に、原審第一三回公判期日において、久留メモ中の右の記載部分が再伝聞供述であることが明らかとなつた時点においても、弁護人は先の証拠調に異議がない旨の意見の変更を申し出ることなく、あるいは、右証拠の排除を申し出ることもなく、また、桂某を証人として申請し、その供述の正確性を吟味することもしていないのである。このような訴訟の経過をみるときは、久留メモの右記載部分については、弁護人として桂某に対する反対尋問権を放棄したものと解されてもけだしやむを得ないのであつて、結局、久留メモを原判示第二の恐喝の共謀を認定する証拠とした原審の訴訟手続に法令違反があると主張する所論は、その余の点につき判断するまでもなく、採用することができない。<以下、省略>

(船田三雄 櫛淵理 中西武夫)

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